役者から何かを奪うことは、映画制作への原動力になります。役者をある欠乏状態に置くことで、自ずと欲求と行動が発生し、それを中心としてフィルムが回り始めるのです。だから監督は役者から奪います。奪っておいて、今度は役者の目の前にニンジンをぶら下げるようなことをします。もしくは何も差し出さないまま放置プレイに取りかかる場合もあるでしょう。一方で役者の仕事というのは、監督の懐からニンジンを取り出させ、できる限り自分に近いところへ引きずり出すことです。あたかも大変な欠乏状態に置かれたように、必死で欲求不満を演ずるわけです。この監督と役者のせめぎ合いは、脚本によって予め定められている一定のライン上で行われるわけですが、ゲームの拮抗が臨界に達せずしてフィルムを回すことは禁止されています(このことは世界で最も権威ある国際映画評議絶対反抗不可能委員会が制定する絶対憲法に記載され、違反者はテレビ界へ島流しされる決まりになっています)から、映画とは決して脚本家が思うような予定調和によって制作されるのではなく、監督と役者それにカメラの三者間の緊張状態の下で初めて創作されるのです。(以上、一ヶ所の嘘を放置しつつ、次の段落へ移る。)
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2004年09月02日
ポーラ・エクスプレスの予告編 ロバート・ゼメキスVSトム・ハンクス
2004年08月27日
茶の味 小津安二郎=オタク?
『茶の味』という題名を聞いて思いついてしまうのはやはり小津安二郎です。というのも小津には『お茶漬けの味』という作品があるからです。また小津安二郎の遺作である『秋刀魚の味』の仏題が『酒の味』であることも海外、特にカンヌでは話題になったようです。ある一家の日常(?)を追って進行していくこの『茶の味』について喋る時に小津作品が引き合いに出されるのは当然の事なのです。石井監督本人は小津安二郎よりも清水宏に共通点を感じているようですが、彼は『大学は出たけれど』の原作者でもありますから結局のところ小津安二郎にたどり着いてしまうわけです。
2004年08月26日
華氏911 ガンジーで同じことをやってみろよ!
賛否両論とのことですが、私は『華氏911』について賛否のどちらにもつかない感じです。同じような気分の人は多いのではないでしょうか。ブッシュ政権への賛否やイラク戦争への賛否、普段どのような意見を持っているかとは無関係に、『華氏911』の意見に対して自らの旗を示すことに抵抗を感じます。「だまされてたまるか」という気分になるのです。
まずは自らの無知を反省しなければなりません。アメリカの政治制度や徴兵制度、その他もろもろの知識がないこと。英語の聞き取りができないこと。こうした鑑賞以前の問題が私の作品理解を大きく妨げていることを認めざるを得ません。英文の契約書にサインしろと言われても、どうしても躊躇してしまう。その責任は私自身にあります。そしてもうひとつの問題、それはドキュメンタリーというジャンルに属してしまった映画のジレンマ、「作為」に関することです。作為があるからこそ映画たりえる、それは当然として、こんな作為では何も作れない、そんな作為です。
続きを読む2004年08月20日
ジョゼと虎と魚たち ほんのとらとほんもののとら
早朝人目をしのんで散歩、あとバアが拾ってくる本、それだけ。家に篭り押入れに篭り、外界と遮断されたジョゼの暮らしを、恒夫は少しだけ外へ開いてあげました。彼が初めにしたのは『すばらしい雲』を古本屋で見つけることでした。ジョゼの中で「サガンの『1年ののち』の続編」が『すばらしい雲』に変わったのは私たちの想像以上に大きなことだったのではないでしょうか。
ふたりはドライブに出かけます。恒夫が運転するヤン車の助手席で、ジョゼは本で読んだ記号とそれがあらわすほんものを照らし合わせるように、はしゃぎます。車が動物園へ来たのはでこの世で一番怖いもの……虎を見るためです。「虎かぁ?」私の頭に小さなはてなマークが出ました。
続きを読む2004年08月19日
ドリーマーズ 先生、死ぬのはまだ早い
映画に酔わされるという体験を私にさせてくれるのは、いつもベルトルッチ先生です。水の中を泳ぐようなカメラワーク、一点の隙もないカット割り、人間離れした美しすぎる裸体、どれをとっても完璧なのに加え、追い打ちをかけるように鑑賞後必ず与えられる喪失感によって、私の脳内はぐにゃぐにゃになります。
若干22歳で撮った『革命前夜』の情熱的官能美、『1900』の遣りきれない虚無感、『シェルタリングスカイ』の人間哲学、私にとってはすべてがマスターピースであり続けます。最近でいえば賛否両論だった『シャンドライの恋』でも惜しみなくその完全美を見せつけられ、短編『10ミニッツオールダー イデアの森』でさえも「ああこれが先生だ」と思わせるのだから完敗です。と泥酔しすぎてあんまりなので本作について…。
2004年08月09日
誰も知らない 柳楽優弥クンたちの細部
板橋サティ5Fのワーナーマイカルで鑑賞しました。土曜日、初日ということもあり、映画館は満員です。上半身を露わにした柳楽優弥の愁いを帯びた悩ましい表情。ポスターから声は聞こえてきませんが、身体からにじみ出るあのオーラがカンヌ映画祭主演男優賞の実力に説得力を持たせている、その証の集客でしょう。そして話題作特有の現象も起こります。隣の席に座ったカップルが1時間も経たずして眠りこけてしまいました。上映が終わって「退屈だ、つまらない」と、否定的な感想が聞こえてきます。話題性に乗っかって見に来たものの、思っていたのと違っていたようです。一体この映画に何を求めてきたのでしょうか。また他の客が話しています。「あのあとどうなったんだっけ?」『誰も知らない』は実話を題材にとった映画です。ネタ元のあの兄弟たちのその後、ことの顛末を気にしているようです。「そうではない!」とつい声をあげそうになりました。ストーリーを求めてはいけないのです。
2004年07月30日
スチームボーイ 〜彼の優曇華〜
誰かが首を長くして待っているものというのがこの世には存在します。このスチームボーイもそんな作品のひとつではないでしょうか。ファンにとっては9年という歳月はあまりに長すぎるだろうと思います。大友克洋の新作が『STEAM BOY』という題名で19世紀のイギリスを舞台にした蒸気ムンムンの作品である、ということを私は前もって知っていたので、そのスチームで何を隠してくれるのだろう、どんだけ隠してくれるのだろうと楽しみにして見に行きました。9年間も隠し続けていたのですから隠し切るだろうと。
2004年07月26日
月の砂漠 にわにわとりがいるにわはどこのにわ?
彼らがいるのは一体どこなんでしょう。父と母娘、それぞれが住んでいるマンションには全く生活感がありません。その他、この映画で使われている殆どのロケーションが現実味を欠いています。もしかしたら本当にそこは月の砂漠なんでしょうか。そして辺りが暗くなってようやく姿を見せるあのほの明るい星こそが我らが水の惑星なんでしょうか。
人と人、特に父母娘の3者に的は絞られ、場所、時間、隣人、そういったものとは断絶された記号的関係性だけが浮き彫りにされます。もしかしたらこれは、AさんBさんCさんの3つの磁石をホワイトボードに並べてマジックで線を引いてできる図、もしくは青山真治の新たなフィールド、小説なんじゃないかと思ってしまいそうです。しかし何かが違う。
続きを読む2004年07月24日
スパイダーマン2 人生をわたる−遅刻してもしなくても−
『雪国』の引用は勘弁させていただくこととして……、作家は小説の書き出しにありったけの命を吹き込みます。この映画のオープニングに私はめまいがするようでした。めくるめく現れるクモの糸によってスクリーンは幾度となく分断され、その断片に現れたと思われたマンガ『スパイダーマン』の1コマ1コマが、その一瞬後には糸に絡めとられるようにして消え、あるいは次の糸がもたらす新たな1コマの裏側に隠れていきます。マンガを紙の上に束縛し続けたコマも、今や糸のすきまで自在に動かされ、変形され、奥に手前にどんどん積み重ねられていきます。「これは映画だ!」サム・ライミの狂喜の叫びが聞こえてきそうです。本編が始まります。
2004年07月07日
彗星に乗って 7月11日(日)は投票所へ
少し古いのですが、カレル・ゼマンの一連の作品がDVD化されています。この「彗星に乗って」は1970年制作で、舞台背景はもっとずっと昔々……。フランスの軍隊がアフリカの砦でアラブ人と戦争しているところへ、巨大な彗星が近づいていて不穏な気配です。そこへ持ってきた敵のろうそく式時限爆弾が爆発します。それに加えて地震やら稲妻やらが合わさったドタバタの拍子に、街も砦も船もフランス人もアラブ人もスペイン人もみんな丸ごと彗星に引き寄せられてしまいます。気がついたらそこは彗星です。砦の屋根が少し壊れてはいるものの、まあ無事です。ああ、空に浮かんで遠ざかっていくアレが私たちの地球らしいわ。とずいぶん荒唐無稽です。
というわけで、そっくり移動して、彗星の上にほぼ地球にあったのと同じように街が再現されました。主人公の中尉は植民地の国境線を測量する仕事をしていました。彗星に移動したことで国境線などというものははなくなったわけですから、彼(とヒロインの彼女)の縛りは解かれ、理想郷での生活に期待します。しかし彗星とはいえ、太陽の周りを回っていることに変わりはなく、砦も武器も残っているのですから、相変わらず軍隊は戦争を続けるのでした。
続きを読む2004年07月01日
ブラッド・ワーク ダーティーハリーの中の人
イーストウッドは服を脱ぎます。それにみんなが気がつきだしたのは、イーストウッドが歳をとってからです。片一方にダーティーハリーがいて、どんな過激なアクションをも乗り越えるタフガイです。ところが服を脱ぐことでダーティーハリーの“中の人”が明らかになったとき、そこにいるのは手負いの爺さんでした。その身体を見て、衰えたなという人もいれば、まだまだ老いを感じさせないという人もいるでしょう。その肉体の評価は別にして、誰しもダーティーハリーとその中の人との間に「老い」というキーワードつきで違和感を見ずにはいられません。
2004年06月26日
カレンダーガールズ 故マサキ杏平氏に捧ぐ
映画において、物語がフィクションであることとノンフィクションであることに大差はありません。私はこの映画を実話だと意識せずに、他のどんなジャンルの映画とも別なく楽しんで観ていました。ところがエンドロールの前に実話を意識せざるを得ない注釈が入り、鑑賞後しばらくずっとそのことが頭を離れなかったのです。この手の実話映画にはありがちですが、本末に「故〜に奉げる」や「この後19XX年に〜に成功」などの注釈は、映画を楽しんでいる者にとっては正に蛇足で、一気に現実に引き戻されてしまいます。久しぶりの実話映画だったので、そんなことを思い出しました。
2004年06月24日
ファインディング・ニモ 科を超え類を超え
ディズニーというと世代を超えて愛されているイメージがありますが、僕らの世代はみんながみんなディズニー映画のほとんどを見ているというわけではないでしょう。実際僕もディズニーの世界そのものにあまり親しみがありません。完璧な嘘の良さというのもわからなくはないですが、それに手放しで酔うということがどうもできません。ディズニーランドもそんなに行ったことないですし。このファインディング・ニモはディズニー映画でもPIXARという別の会社でつくっています。ですからいわゆるディズニー映画とは違います(現にPIXARはThe Walt Disney Co.との関係を解消)。この映画のほとんどは海の中で展開していきますが、そこには多種多様の生物が登場します。哺乳類、鳥類、そしてもちろん魚類。彼らには種や個によってそれぞれ個性があります。数秒前のことを覚えていられなかったり、潔癖症だったり、水槽のガラスに映った自分の姿を頭のいかれた双子の兄弟だと思ったり。自分を変えようと魚を食べるのを断つサメなんかも出てきます。彼らはそれぞれ違った認知をしているので、同じ海、水槽(または空)で生活していても異なった時間、空間を生きています。
2004年06月15日
華氏451 ≒摂氏233 ≠華氏911 ≠KURE556
ちょっと古いニュースです。マイケル・ムーア氏が『華氏911』というタイトルの映画でパルムドールを受賞しました。配給に関していろいろとモメたようですが、日本でもそろそろ公開されるそうですね。(恵比寿に行くのはちょっと面倒ですけれども)楽しみにしています。
華氏451は名作中の名作、今敢えて書くこともないと思われるので、今日はSFの見方について考えてみたいと思います。
続きを読む2004年06月11日
ビッグ・フィッシュ/KILL BILL Vol.2 視線の在処
劇場、前方にあるスクリーンを見つめていたはずの私の視線がまるで呆けていて曖昧だったのではないかと疑いたくなる。それほどこの二本のアメリカ映画はその内部に向けられた視線の有様を、一方は幻想的なほら話で、もう一方は日本刀の鋭利な切先で観客に突き付ける。大風呂敷という名のスクリーンは観客の視線から身を翻すように「視線の在処」をフィルムの内に見出しつつ、我々を安全な場所にいる観賞者でいることを許さないだろう。
2004年06月05日
みなさん、さようなら 私にはそのユートピアが信用ならない
ビッグ・フィッシュのあとに見ますと、何だか暗い。コメディーなのに。画面の色は薄ら暗く、音楽も重たい。ビッグ・フィッシュがのめり込ませてきたようには観客を映画世界に没入させてくれません。物足りない気持ちで数日過ごしてみて、段々とああなるほどと沁みてきました。
2004年05月31日
キューティーハニー ハニメーションと結婚と明るさ
今アニメの実写化が多いですね。このキューティーハニーも元となるアニメがあるわけですけど他の実写化作品とはちょっと違うようです。なんでも実写でもアニメでもない映像(キューティーハニーにひっかけてハニメーションと言うらしい。)があるのですが、その映画のひとつの売りであるハニメーションが何か映画の中でうまく機能していないように思えるのです。
2004年05月28日
エレファント スタンダードサイズのパーソナルエリア
2004年05月25日
2004年05月23日
ルナ・パパ あれのなまえ、ご存じですか。
天井でくるりくるり回っている大きな扇風機、なんていうかご存じですか?シーリング・ファンだそうです。私がいつも憧れているもののひとつです。そしてそれが似合うような南の島で暮らしたいものです。但しルナ・パパの街はごめんです。ずっと続いている茶色い荒野、見上げるまでもなく視界を占めている広い空。圧倒的に美しいのですが、それはフィルムの中で楽しむくらいが丁度良いでしょう。
どこの街だかわかりません。限りなく原野に近いその土地には、馬の隊列が目的もわからずに疾走しています。飛行機が墜落ギリギリの低空飛行で街を切り抜けます。車はガタガタの地面の上を跳ね回ります。ファーストカットから楽しいのりものショーで私を圧倒します。「収穫アンサンブル」と銘打ったダンスシーン同様、素朴で乱暴なイメージはとてもエネルギッシュです。一方それを捉えるカメラもまた激しく移動するのですが、実に洗練されていて美しい切り取り方をしているように思えました。こういう風に映画愛がビシビシ伝わってくると、嬉しいのなんの。
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