イーストウッドは服を脱ぎます。それにみんなが気がつきだしたのは、イーストウッドが歳をとってからです。片一方にダーティーハリーがいて、どんな過激なアクションをも乗り越えるタフガイです。ところが服を脱ぐことでダーティーハリーの“中の人”が明らかになったとき、そこにいるのは手負いの爺さんでした。その身体を見て、衰えたなという人もいれば、まだまだ老いを感じさせないという人もいるでしょう。その肉体の評価は別にして、誰しもダーティーハリーとその中の人との間に「老い」というキーワードつきで違和感を見ずにはいられません。
『スペース・カウボーイ』はまさに老いを扱った映画でした。そして『ブラッドワーク』でイーストウッドは自らに心臓の不具合というさらなる足かせをかけます。イーストウッドがダーティーハリーではなく“中の人”をこそ見せたいのは随分前からわかりきっています。しかし面白いのはその見せ方です。決して楽屋裏でリラックスしきった中の人を見せるわけではありません。老いたとはいえ、やはりイーストウッドが自らに課すのはハリー的な仕事であり、心臓を入れ替えてまでFBIの仕事に復帰(または宇宙飛行士に復帰)し、10リング(射撃の訓練)で一番だった腕前を披露しなければならないのです。あの頃と同じ仕事をやってみることで、彼の衰えもしくは老いて尚の魅力を見せつけます。走っても遅く、柵を飛んでも引っかかって転びます。最後の犯人との死闘で、イーストウッドは女子供を船で逃がします。しかしその逃がした船にこそ犯人が乗っていたというマヌケさ。結局女が機転を利かせて船を操作することで、犯人に致命傷を与えます。挙げ句にイーストウッドが「10リングだ」とキメて敵にトドメの一発をおみまいしたのに、まだ仕留められず、またしてもその大役は女に譲られます。昔のハリーならば一匹狼でやっていられましたが、もはや彼ひとりでは犯人をやっつけることはできないようです。
『ブラッドワーク』はとてもよいできです(こんな書き方して……、生意気な皮肉に聞こえませんように)。物語は簡潔そのもの。事件が次の事件へ繋がっていく構成はある意味王道的で、例えば小さな事件から国家的な核問題に飛躍したり、大がかりな麻薬組織をぶっ潰すことになったりするものなのですが、この作品はそういう大げさな方向には行きません。変な飛躍を排した地味な(良く言うと地に足のついたリアリティのある)展開ながら、無駄なくプロットが組み立てられていて、イーストウッドがゆっくりしか走れないにも関わらず、途中で弛んでしまうことはありません。(せっかく映画館で見ようと思っていたのに、あっという間に公開が終わってしまったこの作品の不遇はそういった地味さのせいでしょう。)
少し古くさくて地味かもしれませんが、彼のスタイルを貫く。それはイーストウッドのフィルモグラフィー全体に渡る、自分をめぐる対照実験です。あの日の自分と今の自分。語るべきストーリーが枯渇したような時代にあって、自分にこそトピックを見いだそうとするのはとても現代的な姿勢であり、イーストウッドが作家である由縁です。イーストウッドは年老いてなお自分大好き僕らのヒーローなのです。
余談
ウディ・アレン、ナンニ・モレッティ、ジャッキー・チェン。クリント・イーストウッドと並べると誤解が発生しそうですが敢えて。自分大好き(大嫌い)監督の映画が大好きですよ。僕ぁ。
[2002年/アメリカ/ワーナー・ブラザース][監督・製作]クリント・イーストウッド[脚本]ブライアン・ヘルゲランド[原作]マイクル・コナリー[製作総指揮]ロバート・ローレンス[撮影]トム・スターン[出演]クリント・イーストウッド/ジェフ・ダニエルズ/ワンダ・デ・ジーザス/ティナ・リフォード/ポール・ロドリゲス/ディラン・ウォルシュ/アンジェリカ・ヒューストン
ブラッド・ワーク 公式ホームページ
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