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2004年05月16日

ロスト・イン・トランスレーション 酩酊する東京上空に浮遊する人間達

ロスト・イン・トランスレーション「空中に浮かんだ島」、とパークハイアットを評したのは監督のソフィア・コッポラだ。実際、スカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットは自室の窓際に膝を抱えて座り込み、その姿をやや上方から捉えたショットは彼女が東京上空を浮遊しているようにさえ見える。いや、東京から浮遊していくのは彼女の姿だけではないのだ。『ロスト・イン・トランスレーション』全体が、足が地面を踏み締める実感など必要としないように、「東京」から乖離し中空を漂いだす。

 シャーロットもビル・マーレイ演じるボブ・ハリスも東京において、自らの存在が街の表面を上滑りするのでもなく、接地することもない寄る辺のなさを感じながら、ふわふわと各々の日々を過ごしている。だが、彼等の存在が浮いてしまっているのはそのような心的描写に拠るものではない。彼等が致命的に浮遊した存在であるのは、物を食べる姿が映されない点にある。食事をとることが物語の外へと追い出されたこのフィルムにおいて彼等の姿は安易な実感としての生のリアリティを欠いている。シャーロットとボブは寿司屋、しゃぶしゃぶ、パーティ、バーを訪れるにも関わらず、彼等が食事をする姿は一切、捉えられることはないのだ。それは「食事」がもたらす生の実感が確実にこのフィルムで意識されている故である。シャーロットの夫の友人であるアイドル的な映画女優はバーでシャーロットたちに自らの父親は拒食症だと告白している。だが、その口ぶりは如何にも軽薄に感じられ、どこまでが真実かはどうでもいいことのようだ。つまり、拒食症である彼女の父はその存在自体が疑わしい。また、ボブは妻との電話で息子がしっかり食事をしないことを相談され、「ダメだ!しっかり食べるように言うんだ!」とそれまで見せないほどに声を荒げる。自らの浮薄な状態を否定するかのように、彼は故郷の息子に「食事」をするよう、怒鳴りつけるのだ。実は、一度だけボブがホテルで朝食をとっているシーンがある。それは前シーンで彼の出演するCM関係者が送り込んできた娼婦とのやり取りが余りに滑稽であり、映画のトーンをある程度回復させる為、ボブをこれ以上、軽薄な存在に仕立てない為に仕掛けられたシーンであろう。「食事」をフィルムに映すことは生のリアリティによって浮遊した存在を着地させてしまう。彼等にとっての異国で、お伽話のように奏でられるラブストーリーの主人公達は地に足がついているよりも、徹底的に上空を漂うものでなくてはいけなかったのだ。




 しかしながら、浮遊することは舞い上がることとは全く異質のものでなくてはいけない。どこまでもどこまでも舞い上がり、やがてどこへ行ったか分からなくなってしまうようでは人間ではない、幽霊や風船と同じ存在になってしまう。やはり、適度な重力というか、磁場を形成する必要があるのだ。ソフィア・コッポラは「私の東京」と「酒を飲む」という行為によってこのフィルム内に磁場を創り出す。




 極彩色のネオンに照らされる新宿、渋谷の街並みは「東京」ではなく、ソフィア・コッポラ自身の「私の東京」だ。別段、映画によってソフィアが「私の東京」を撮ることを非難するわけではない。ただ、どのようにスクリーンを見つめてもここに映るのは私の知っている「東京」ではないはずだ。この『ロスト・イン・トランスレーション』にはソフィア・コッポラ自身が地図を描いた東京の街並みが映されていて、「東京」では決してない。そこに磁場は形成される。言わば、ソフィアの箱庭的東京に配置された人物達はその空を浮遊することはあっても、そこからはみ出しはしない。
 そして、先に述べた「食事」と対になるように、シャーロットとボブは酒を飲み続ける。バーで、パーティで、カラオケで彼等は酒を飲み、酔い続ける。そもそも、ボブはウィスキーのCM撮影の為に東京にいるのであって、彼が東京に存在する理由も酒だ。また、シャーロットも福岡へ仕事で移動してしまう夫にシャンパンを振舞おうとする。彼等は「食事」の代わりに「酒を飲む」行為で、酒を身体にいれることで、そのどこまでも浮いてしまう身体を辛うじて東京に滞まらせている。よって、彼等のいる東京はソフィアの箱庭であるだけでなく、常に酩酊している街であるのだ。カメラは特に手持ちの荒々しい映像によって酩酊感を演出するのではなく、静かに固定ショット中心で彼等の姿を捉えるかもしれない。だが、確実にあの街は酔っており、ノイズだらけの雑踏やカラオケの音、突然鳴り響くプールの水飛沫音は素面(しらふ)の意識が聞き及ぶ音ではない。余りに雑音の多い突然の響き、余りに彩りをつけるネオンの色。彼等は酔い続けることで周りの全てをも酔わせ、浮遊しながら千鳥足の意識で東京を闊歩する。




 酩酊する箱庭―東京の上空をふわりと漂う二人の主人公は希薄ではなく、軽薄でもない。ビル・マーレイの浴衣からはみ出す長すぎる脛もスカーレット・ヨハンソンの健康的な下着姿もその身体性をもつことなく、彼等はただ浮遊しつづけ、誰にも気付かれず抱き合うことが出来る。その時、私達には聞こえない愛の言葉も酔っ払いの独り言かもしれない。更にアメリカに帰れば彼等は生へと着地するだろうが、私達にそのことは関係ない。上映されている間はただただ、ソフィア・コッポラのメルヘンに浸るだけだ。「東京」とは離れてゆくこの映画は良く出来たお伽話であり、それで充分なのだろう。




『ロスト・イン・トランスレーション』公式ホームページ
[amazon][DVD] ロスト・イン・トランスレーション




[2003米/東北新社][原題]Lost In Translation[監督][製作][脚本]ソフィア・コッポラ[製作]フランシス・フォード・コッポラ/フレッド・ロス[製作]ロス・カッツ[撮影]ランス・アコード[出演]ビル・マーレイ/スカーレット・ヨハンソン/ジョバンニ・リビシ/アンナ・ファリス/林文浩

posted by KINEMAtograph Writers at 14:34| Comment(4) | TrackBack(2) | Kinema | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おおっ!一緒に見に行ったのに、この違いはなんすか。なんなんすか。やっぱ「ちんかめ」じゃダメだね。ハハハ。
それにしても食事とエロを排除してるんであれば、やっぱり存在が浮遊するってところに収斂されていくんだね。なるほどねー。意識的に行われているわけだから、そういう風に再見しないとまずいかな。
個人的にはいっぱい食事する映画が好きですたい。食べながらしゃべってたりすると特に。こぼしちゃうのもいいな。
Posted by マサキ杏平 at 2004年05月17日 14:06
いや、そんなに言わないで下さい。僕はそう見えただけでですし。そういう見方で再見しなくてはまずいこともないと思いますよ。
でも、これから見る方々が二人の、この文章に共感なり、勿論、反感を感じながらこの映画を見てくれたら嬉しいですよね。
今回は食事シーンの欠如について書きましたけど、では、食事シーンが豊富に見られる作品については結局、書いていないので、いつかこの文章の反証ではなくとも、そういう作品についても言及したいなと思います。
Posted by 田村 博昭 at 2004年05月19日 01:09
初めて書き込みます。ドキドキしちゃう!
ロスト・イン・トランスレーションを見て私が感じた不愉快な気分は、マサキ君の考えと近い部分がありますね。開き直りっていうか、「わかんない」で済ませる傲慢さっていうか。まあ、ソフィアがそれに意識的であることを願いますが。

確かにあの東京は、私たちの知る東京ではない。でも、全く新しい東京の姿は見えてこない。ダサくて使いたくない言葉だけどいわゆる「異化」っていうものではない。ベタな日本のイメージに、オシャレな(ちんかめ的な?)味付けをしただけ、みたいな。ヴェンダースが「東京画」において、パチンコ屋を2度、営業中と閉店後に訪れたような(これは梅本氏の指摘なんだけどね)そんな真摯な姿勢は全くない。だいたいソフィア自体に、分け入っていくつもりがない。まあ、田村君の言うとおり、物語に都合のいい「箱庭」だよね。

この映画って、「これって意識してやってんのか、それとも素か?」と思わせる部分があまりに多かった。監督の意思表示なんてのはどこにもなくて、「○○な人たち(つまりここでは、異国の地で、自ら進んで溶け込もうともせず、寂しがって感傷的でそんな自分を許している浮游した現代人、ってとこか)を描いてみた」みたいな。でもその「○○な人たち」が監督自身であったりしたら興ざめだな〜、そんな映画。うまく言えなくてすみません。

長くなっちゃった。てへ。
Posted by あき at 2004年05月21日 19:24
エンドロールが終わってから何かある映画っていうのがたまにあるので、私はエンドロールを最後まで見ることにしているのですが、あれ、何なんですかね。ちょっと頭にきました。だれだよ。
Posted by マサキ杏平 at 2004年05月28日 11:49
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