この映画に登場人物を隠す壁はありません。役者はそこにないドアの前でドアを開け閉めをしています。観客はそれを了解した上で鑑賞します。
人間には「見たいが見られたくない」性質があるようです。神様は見てるけれども私たちには見えない、その特権にあこがれるのでしょうか。村人たちが醜い獣性を露わにするのは、自分を隠蔽してくれる壁という、「見られていないという設定」があるからです。そして立場の弱いキッドマンを観察します。さらに私たち観客は神様の立場で一方的にその様を眺めることができます。
ところがこの状況はだんだん変化します。
続きを読む

